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今年も各界から訃報が届きました。小田実さんと稲尾和久さんについてはマガ9でも触れましたが、作家の城山三郎さん、歌手の坂井泉水さんにも、もっと書いて、もっと歌ってほしかった。

クレージーキャッツの植木等さんが亡くなったのは3月27日でした。享年80歳。

むかしは年が明け、ゆく年くる年が終わると、民放テレビで日本の喜劇映画がよく放映されていました。「男はつらいよ」とか、もっと古いものだと「喜劇駅前旅館」とか。大晦日だけは夜更かしを許された子供の私には、新年の楽しみのひとつでした。

笑いの好みが古いのは、若き渥美清や森繁久弥に影響を受けたせいかもしれません。ただ、ある年に放映された「ニッポン無責任時代」には驚かされました。

ポマードで髪を固めた2枚目の男性が、がははははと笑って、街中を歌い踊っているのです。

こういうことするのは、「ウエストサイド物語」の不良のお兄さんや「サウンド・オブ・ミュージック」のきれいな先生なのに、なんだ、この人は

主人公の名前は「平 均」(たいら ひとし)。演じる植木等とは同名でも字が違う。植木の方は「平 等」の「等」。お父さんの植木徹誠さんが名づけました。

キリスト教の洗礼を受けた後、社会主義者として労働運動に参加。さらには浄土真宗の僧侶になって部落解放運動にも関わり、治安維持法で何度も入獄。徹誠さんは戦時中、出征する若者に対して「なるべく弾の飛んでこないところにいて、必ず生きて帰ってきなさい」と言ったそうです。それでまた捕まりました(植木等著『夢を食い続けた男』より)。

また、戦後、息子の等が「スーダラ節」を「こんないい加減な歌を歌っていいのだろうか」と悩んでいたとき、「“わかっちゃいるけど、やめられない”。これは人間の弱さ、親鸞上人の教えを説いたような言葉だ」と言って、歌うことを勧めたといいます。

植木等は真面目な人だったそうです。「ちょっと一杯の♪」と歌っていましたが、本人は下戸でした。

この前、クレージーキャッツのベストアルバムを久しぶりに聞いたら、モダンジャズ風の演奏に尺八が挿入されている曲がありました。実に多彩な音の上に、青島幸男のすっとぼけた歌詞がのっかっていたのです。

そーのうち何とか、なーるだーろおお♪

植木等の声はどこか達観しているところがある。父、徹誠さんの血でしょうか? その能天気さは、日本の高度成長時代でこそ生まれえたのでしょうが、覚悟を決め、腹をくくった人の言葉のようにも聞こえて、なんだか元気が出たのでした。

皆さん、よいお年を。
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――という話を、ある社長さんと話しました。中国やロシアを主な取引相手としている専門商社のトップ。明るく楽観的、かつタフな人でした(でないと、あの隣国と商売はできないのでしょう)。

「商売であっても、最初にするのは、お互いに会社の理念を伝えること。そして両者が共有できる価値を見つけること。それが基本です」

そこから交渉が始まる。互いに相手の姿勢はわかった。じゃあ、どこで折り合をつけようか?

「商談に100点満点はありません。どこかで妥協しなければならない。こちらが相手に何を提供し(ギブ)、その見返りとして相手から何を得るか(テイク)? 貿易は双方が利益を得られるときにしか成り立たないから、その落としどころを探る。それがわれわれの仕事なんです」

これは商売だけの話ではありません。うちの子供だって「次のテスト100点とったら、遊戯王カード買ってほしい」と条件を提示します。一方、親の私は「3回連続で(100点)とったら」といい、「なら2回で」「オーケー」といった白タクとの料金交渉みたいなことをするわけです。

ところが、いまの与党政治家は交渉をしているのでしょうか。

先般の薬害C型肝炎訴訟の原告団が求めた「一律救済」に対する政府の対応は、およそ交渉当事者とは思えないものでした。原告と政府は「東京地裁判決の基準から外れた被害者を救済する基金の金額」で対立していたわけではありません。争点は福田首相の「政治決断」の有無であり、原告は政治決断を求めているのに、首相は「専門家(官僚)の意見を十分に聞いて検討した上で回答する」と答えている。この時点で政治決断がないのは見えていた。

最初に「政治決断はできない」理由をきちんと相手に伝えるべきだったと思います。それを時間稼ぎしたあげく、「基金を8億円から30億円に積み増す」ことを提示して、「これ(基金増額)が“政治判断”だ」(舛添厚労相)と言う。相手に深い不信感を植え付ける。最悪の結果

卑屈な笑みをときおり浮かべる舛添厚労相や、他人事のような口ぶりの福田首相と、「舛添さんは官僚と心をひとつにしてしまった」と涙をこらえ、胸を張って語る原告団の福田衣里子さん(27歳)。

どちらに人間的な強さと優しさが備わっているか。

国内でこんな対応をしていては、国際的な交渉の場である外交でも、お寒い想像しかできません。くだんの社長さんは、

「たとえば“北朝鮮に対して弱腰外交はしない”とか“(ロシアには)北方領土の4島一括返還を譲らないぞ”とか、強さをアピールする政治家がいるでしょ。あれ、楽なんですよ。厄介な相手とぎりぎりの妥結を探る交渉よりも、自国民に対して“あいつが悪い”って怒っていれば、勇ましく見えるから」

解決困難な問題に対して原理原則を振りかざすのは怠慢だと思います。

福田首相ほか、二世、三世議員って、親や友達と、あるいは学校や会社で交渉して、自分の要求を通すということをしてこなかったのではないか。蝶よ花よと育てられながら、それを帝王学とかと勘違いしてたりして。

「彼ら(政治家)は金を使うことばっかりで、稼ぐこと、考えたことないからねえ」というのも社長さんの弁でした。
銀座・数寄屋橋交差点に長蛇の列ができていました。50メートル以上は続いていたでしょうか。しかも3列縦隊の分厚い行列。

年末ジャンボ宝くじの発売日です。

数寄屋橋の交番の巡査も整理に駆り出され、「お巡りさんも大変だなあ」と思いながら行列に沿って歩いていると、最後尾の近くに托鉢僧が立っていました。

このお坊さん、列が伸びるごとに自分も微妙に近づいているようで、新しく列に加わった人はみんな、お坊さんの姿を見て一瞬、身を引きます。

新宿西口などの雑踏ではよく見かけますが、ここまでターゲットを明確にした托鉢僧は初めて。

しばらく遠目から観察していましたが、お金を鉢に入れる人はいませんでした。
「1億円が当たりますように……」
俗な夢を抱いている最中、人は喜捨する気分にならないだろうと思います。

ところでこの宝くじ、公営ギャンブルで、胴元控除率は54%。つまりテラ銭の半分以上を主催者である国や地方自治体がもっていくのです。胴元は黙っていてもウハウハという仕組み。競馬や競輪の場合は25%、聞くところによると、ラスベガスのスロットマシーンは4%だというのに。

文部省(当時)主導で始まったサッカーくじ(スポーツ振興くじ)の売上が年々減少しているそうです。原因は同省役人の天下り先、日本スポーツ振興センターの運営のお粗末さもさることながら、これまた胴元控除率50%というふざけた数字がまかり通っているためではないでしょうか。

テレビや電車広告で夢、夢、夢、夢と煽りまくり、年の瀬に庶民の財布からお金を絞りとる宝くじの胴元=お役人たち。

国民をなめんなよ。
「ジョン・レノンが死んだんやて」
「うそや」
「知らんかったん」
「病気か?」
「撃たれよったんや」
「……」
自転車に乗った友人は猛スピードで私に追いつくとそう言って、
「先行くけん」と再びペダルを踏み込み、あっという間に小さくなってしまいました。

ジョンがニューヨークの自宅近くで精神疾患者に撃たれた1980年12月8日の夜、日本は翌日の午後で、私は高校から家に帰る途中でした。

ジョンとヨーコの久しぶりのアルバム、「ダブルファンタジー」が出たのは数週間前。母親から小遣いを前借りした私は、町のレコード屋に自転車を飛ばしました。ひと月の小遣いはLP1枚分だったのです。
帰って早々、レコードに針を落すと、最初の曲「スターティング・オーヴァー」のイントロから引き込まれ、A面が終わるまで、身動きせず、ステレオの前でじーっと聴き続けたのを覚えています。

私が洋楽を聴き始めたころ、すでにビートルズは解散していましたが、ジョンのソロ活動は比較的オンタイムで聴くことができました。マザー、ワーキング・クラス・ヒーロー、イマジン、マインドゲームス、パワー・トゥ・ザ・ピープル……。

ポップスに詳しい友人(といっても四国の田舎の高校生のことですから、FMラジオの番組をこまめにチェックし、毎月地元の本屋さんに1冊だけ届く雑誌「ロッキング・オン」をまわし読みしていた程度ですが)に言わせれば、「ジョンは、メッセージ性はあるけど、音楽センスはポール(・マッカートニー)の方が上」だそうで、ジョン好きの私を小馬鹿にすることもありましたが、「ハッピー・クリスマス(ウォー・イズ・オーヴァー)」は好きだったようです。毎年12月、街中でときどきこの曲を耳にすると、27年前、「ジョン・レノンの死」を唐突に知らされ、何だか取り残されたような気分で、田んぼ道を自転車でとろとろと家に帰ったあの日を思い出します。

イラク開戦のとき、アメリカでは「イマジン」を流すのが自粛されました。厭戦気分を広げるからというのが理由です。

いまジョン・レノンが生きていたら、どんなメッセージを、どんなメロディに乗せて、歌っただろう?

ちなみに、12月8日は真珠湾攻撃の日(日本時間)でもあります。
週刊『エコノミスト』(12月4日付)連載「政流観測」で、中村啓三さんは、先の福田訪米での共同記者発表について次のように書いています。

「米国の関心事は、米国産牛肉の輸入拡大、イランの核開発、北朝鮮問題の順で、日本で大騒ぎしているインド洋の給油活動再開は、法案審議を見守る以外にないと極めて冷静な態度だったといえる」

私はこれを読んで、小泉政権時代から感じていた「日本の自民党政権は東ドイツの政権党だったドイツ社会主義統一党の末期に似ているのではないか」という思いを強くしました。政治イデオロギーは正反対ですが、日本のアメリカに対する態度と当時の東ドイツのソ連に対するそれに、内政の都合によって国際情勢を見誤っている共通点が見えたからです。

東ドイツは建国以来、ソ連を社会主義の兄弟国、運命共同体とみなしていました。ところが、ソ連ではゴルバチョフの登場後、国内では民主化、対外的には緊張緩和が進んでいました。

でも、東ドイツはソ連のペレストロイカ(建て直し)を真似ようとはしませんでした。自国で民主化を行えば、自らの権力がもたないと思ったのでしょう。しかし、政権維持のためにはソ連の後ろ盾が欠かせない。こうした事情から、東ドイツはペレストロイカをやんわり否定しながら、ソ連へのラブコールは欠かさないという、分裂症的な状態になっていったのです。

1989年10月7日の東ドイツ建国40周年記念の日、最大級の国賓として東ベルリンに招かれたゴルバチョフは、国家元首のエーリヒ・ホーネッカーはじめ、ドイツ社会主義統一党の幹部たちにこう言ったそうです。
「遅れてくる者は、歴史に罰される」
その後、東ドイツでは民主化運動が勢いを増し、約1ヵ月後にベルリンの壁が崩壊したのは周知のとおり。

小泉前首相はかつて「日米関係がよくなれば、よくなるほど、アジアとの関係もよくなる」と、およそ国家元首とは思えない底の浅い発言をしました。しかも、自分は同時に靖国神社への参拝を繰り返した。靖国遊就館の展示が、中国や韓国だけでなく、アメリカにも決して納得できないものであるにもかかわらず(日本人がスミソニアンでの原爆投下爆撃機、エノラ・ゲイの展示の仕方に納得できないように)。

こうした外交のデタラメさ加減は、福田内閣の新テロ特措法案への執着に引き継がれているように思えます。インド洋での給油ができなくなると、国際社会から孤立する? 与党は主張しますが、先の中村氏のコラムを読むと、アメリカの覚えめでたくして、政権を維持しようと思っているだけではないのか。

こうしたやり方で失敗したのが、東ドイツの対ソ外交でした。それは最終的に自国の消滅を招きました。「運命共同体」であるはずのソ連は当時、すでに東ドイツを飛び越えて西ドイツとの経済関係を強めていたのです。これを、ソ連をアメリカ、東ドイツを日本、西ドイツを中国に置き換えてみたら……。

同じ図式が東アジアでも当てはまるとは限りませんが、いまの自民党を見ると、政権党が末期症状に陥っているように思えてならないのです。
平日の昼休み、日本橋の「丸善」で本を買った後、近くのラーメン屋さんに入りました。丸善に寄った後には、たいてい寄るお店です。人気があるので、昼時はいつも相席。その日、私の前に座ったのは50歳代と思しき、サラリーマンの男性でした。

彼は注文を終えると、テーブルの上のティッシュの箱から6~7枚、ティッシュを抜き取り、それを自分のネクタイの結び目に巻きつけ始めました。そして、そこから真ん中あたりまで白く包んでしまったのです。実に器用な手つきで。

このおじさん、初対面の相席相手に手品を見せるのか? 初めはそう思って、ちょっとうろたえたのですが、すぐに納得しました。「ああ、この人はネクタイに、ラーメンのスープのシミをつけないようにしているんだ」と。

ラーメンやカレーうどん、あるいはミートソースなど、麺を食べるとき、私もよくやってしまうんです。とくにネクタイやYシャツにつけてしまうと水をつけても落ちないし、目立つから、おじさんのよく気持ちはわかる。

が、ティッシュを巻きつけるって……。

でも、出てきたラーメンをいきなり威勢よくすすり上げ、汁を飛ばす彼を見て、それが「苦心の策」であることがわかりました。

ただ、半分ミイラとなって、ぶらぶら揺れているネクタイを見せられる身にもなってほしい。

こちらはラーメンを落ち着いて味わうことができませんでしたが、このお店、お手ごろ価格のわりに、なかなかの味です。ぜひ、お試しください。
NHKの朝の連続テレビ小説(朝ドラ)といえば、「鳩子の海」とか「おしん」(古い!)を思い出すのがせいぜいだったのですが、今年10月から始まった「ちりとてちん」にハマってしまいました。

何事にも後ろ向きだった少女が落語家を目指すというお話で、朝ドラの「少女から大人への成長物語」という基本は抑えつつ、泣かせるシーンと渇いたギャグがテンポよく入れ替わり、それを芸達者の俳優さんたちが絶妙の間でもって演じる。おかげで、こちらは出勤前から、泣いたり、笑ったりの忙しい朝です。

登場人物の名前、小物、言葉、最初は気にも留めない事柄が後になってつながってくる。また、主人公2人の対話シーンでカメラがゆらゆら動いたり、五木ひろしの演歌を使ったかと思えば、バックにシャンソンや吉田拓郎のフォークを流したり。この脚本家と演出家、ただものではありません(すでに有名な人なのかもしれませんが)。

そして何よりいいのは方言。ちりとてちんの舞台は福井県小浜市と大阪。多少の誇張はあるのでしょうが、とくに福井の若狭湾地方の言葉がやわらかく、ちょっととぼけた感じで、すごくいいんです。

方言を聞くのが好きなのは、私が東京郊外という土地の言葉が希薄なところで育ち、高校生のとき、父の故郷である香川県西部の小さな、小さな町に引っ越したせいかもしれません。

思えば、外国に留学したときよりも、学校で讃岐弁に囲まれたときのショックの方が大きかった。周りがまったく別の人間みたいに見えたものです(香川県民の方、すみません)。国道や県道には、喫茶店やドライブインよりもうどん屋の方が多かったし。

転校直後、東京が恋しくてゴールデンウイークをはさんで1週間以上、無断で学校を休んで上京したときは、先生にえらく怒られたのですが、その後の高校の暮らしは何とも面白く、讃岐弁もそれなりに身につきました。

だから、あなたの故郷は? と聞かれると、東京の住宅地ではなく、毎日自転車で50分かけて通った山沿いの通学路が浮かんでくるのです。
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