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毎週水曜更新の『マガジン9条』です。
さぶっ! って、
どんズベリのダジャレを聞かされたワケじゃなく
文字どおり寒いよね、今夜。

さて、今週の「マガジン9条」は、
【この人に聞きたい】に、
クリエイティブディレクターの
マエキタミヤコさんが登場です。
環境問題について、そして9条の問題について、
もっと多くの人たちと語り合い、
広げていくにはどうすればいいのか。
「100万人のキャンドルナイト」
「ほっとけない 世界のまずしさ」などのキャンペーンを
次々に手がけてきた、マエキタさんにお話を伺いました。

対談【雨宮処凛×堤未果】の第2回目は、
「ネットを使って、分断から連帯へ」
アメリカと日本で、
若者たちが置かれた貧困や格差の現状を
取材し続けている2人の対談も、
いよいよ後半へ。
「憲法カフェ」主催のトークイベント特別収録です。

【伊藤真のけんぽう手習い塾】は、
「武力による防衛」について。
侵略戦争は放棄したとしても、
自衛のために軍隊を持つとなった時、
民主国家として考えておかなければならない、
様々な条件について、
現憲法に照らし合わせて検証していきます。

【やまねこムラだより】は、「限界集落」について。
近頃、ニュースなどで 時々耳にするこの言葉と、
やまねこムラも無関係ではないのです。

【雨宮処凛がゆく!】は、「25歳で書いた自伝、の巻」。
雨宮さんの、デビュー作『生き地獄天国』がこのたび文庫化。
7年前に書いたこの本を、今の雨宮さんが読み返してみると?

【デスク日誌】は、「銃社会と政治」について。
銃による犯罪が相次いでいます。
「隣人が銃を持つなら、自分も持つ」――
しばしば政治の話にも転用されるこの論理、
あなたはどう考えますか?

【マガ9レビュー】は、
映画『アルジェの戦い』を取り上げています。
40年以上も前の話のはずなのに、
なぜか怖いほどに今の現実とシンクロする。
フランスの植民地だったアルジェリアの、
独立へ至る戦いを描いた名作です。

その他、【みんなのこえ】【お知らせメモ】も更新しています。
それでは今週も、じっくりとお読みください。

(水島さつき)
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Comment※コメントは承認制とさせていただいてます。
雨宮処凛さん×堤 未果さん、そしてマエキタミヤコさんの数々の聡明な発言について。
一言で言って、圧巻です。

本来ならば、こういう文章は「みんなのこえ」に投稿すべきなのでしょうが、衝撃のあまり字数が多くなる事間違えなしなので、こちらの方に投稿いたします。
代わりに「みんなのこえ」には、十文字(衆愚代表・ブラックサンタver.)という名で投稿いたしました。

・雨宮処凛さん×堤 未果さんの対談について。
お二人とも、「今ある困難で不条理な現実」を重視し、実践的な取り組みをされている事に、個人的にすごく信頼をもてます。
思えば、最近の平和運動は6~70年前の過去の事ばかりを取り上げ、戦争被害者の老人が今なお苦しんでいるからと、日本政府に謝罪させる。この様な運動ばかりに特化した印象があり、さらにそれに反発する人々との間に、泥沼の応酬を繰り広げている事に、私は少なくない反感を覚えておりました。
勿論、過去の戦争に対する論議をする事も大切ですが、もっと重要な事は、日本および世界に数多く存在する不条理を、如何にして解決するかということでしょう。
具体的に言えば、従軍慰安婦問題をあそこまで追及してやまないエネルギーがあるのならば、今の世界にあるポルノなどの児童搾取問題や少年兵問題、性感染症防止活動になぜ取り組まないのかなどと考えていたわけです。

その点、雨宮処凛さんと堤 未果さんは今ある現実を直視し、その問題指摘の矛先を政権側であっても、または進歩派であっても躊躇なく向けるということが素敵です。
このお二人が共同で指摘される、「9条なんてあってもなくても、戦争ができる時代になった。」という言葉は、旧態依然の護憲論者のレーゾン・デートルそのものを問われる発言であるともいえます。
とはいえ、これが真実である以上、それに対応しなければならないのです。

そこで、雨宮処凛さんも堤 未果さんも、「その2」において打開策を提示しているのがまた素晴らしいです。
特に、 “JROTC”(Junior Reserve Officer Training Corp )に対しネットを使って問題提起をしていき、最終的にニューヨークのアルバニーでそのプログラムを閉鎖に追い込んだという件の話は、ワクワクしながら読みました。
こうした若者が知性的かつ理性的な行動により、体制の流れを変える。そしてアメリカにはそういう尊敬すべき美点も存在するということを、明るく軽やかな語り口で紹介する堤 未果さんは、なぜ今までもっと多くの人にその名前を知られなかったのかが不思議でたまりません。

お二人の姿勢で最も私が尊敬しているところは、お二人とも物腰がとてもしなやかで、意志は強くとも先入観や自己の価値観に囚われて他人を判断するような事がなく、色々な価値観の人々と正面を向いて対話する勇気を持っている印象を受ける事です。
実際に、雨宮処凛さんはコワモテの小林よしのり氏と対談しましたし、堤 未果さんも「兵士にリクルートする側の人間」と対談し、そして有益な情報を取得したりしたわけです。
旧態依然の護憲論者ならば、同様のことを果たして何人の人ができたでしょうか。

「現実を直視し、価値観が違う人々とも理性的かつ果敢に対話し、そして共有点を見出し問題解決の為に手をつなぎ合う。」
このお二人が提示された事こそが、憲法9条にとって、(かつてもそうだったのだが…)これから必要な事なのではないのでしょうか。


・マエキタミヤコさんの発言について。
いつもはひねくれ者の私ですが、マエキタミヤコさんのお言葉は合点が行く話ばかりで、衝撃的でした。
堤 未果さんもそうですが、今回突然来られたマエキタミヤコさんは、伊勢崎賢治さんと比肩するほどの知性と実践力の持ち主だと私は見ております。
むしろ何故、今まで彼女達はもっと護憲やリベラル派の中心人物として、名実ともにもっと名を馳せられなかったのか。今回、マガジン9条さまが彼女達の発言を刊行できた事は有能さの証明であり、それはそれで高く評価したいのですが、それ以上に他のリベラル派なり、マスコミなりは一体何やっていたのでしょうか。それとも単なる私の知識不足なのでしょうか…。
ともかく、彼女の視点並びに発言は秀逸で、特にこれらの言葉は至言です。
・そうよねー!(笑) だから(つい「そんな悠長なこと言ってられない!」と思ってしまうのは)マズイんですよ。民主主義の国は、話し合う時間をはしょってしまっては何にもできないんです。
・NGOっていうのは情報サービス業なんですね。
・でも「政治」と「政党的偏り」は全然違うものでしょう。政治的な発言はしないとダメですよ。
・でも、いざわかりやすく語ろうとしたときに、まだ9条の中身がちゃんと分離されて語られていないと思うんです。要はみんなのニーズも多様なのに、ごっちゃになってる気がするんですよ。憲法9条っていう太い括りがあるのはいいんだけれど、中身のバリエーションが語られていない。

これらのマエキタミヤコさんのお話に加え、彼女の言葉と同様の発言をされた林信吾氏の発言を紹介して、改めて彼女の発言の正しさを補完したいと思います。
「憲法を改正して基本的人権を制限するための憲法改正であるならば、クーデターを起こさなければ無理なわけ。ところが合法的な手続きでやろうとしているにもかかわらず、野党が、護憲派と言われる人たちが、同じ土俵に乗りたくないと言って逃げ回っている。敢えて言うと、憲法が可哀想ですよ。」
この林さんの言葉は、マエキタミヤコさんが文末で語られたことと整合するでしょう。

私の考えでは護憲を志す人は、とりあえず今回のマエキタミヤコさんのインタビューをいつも目に付くところに貼り付けて、一日一回は黙読する習慣をつければ確実に有意義な結果を保証できるものであるほど凄いものだと思いますが、如何でしょうか。
さらに来年一年間は、護憲派はレディーファーストの精神で、男性は9条を公の場で口にする事を控え、雨宮処凛さんや堤 未果さん、そしてマエキタミヤコさんのような有能な女性がその発言機会を増やせるように促し、大体的にバックアップしていけば、さらに効率的かもしれません。
戦後補償への十文字さんのこだわりについて考える
マガ9での十文字(衆愚代表)さんのコメントはともすれば定型的になりがちな憲法に対する考え方に違った角度から切り込んでいるので、違和感を感じる事もありますがいろいろ参考になっています。
しかし、十文字さんの戦後補償に対する考え方は違和感ではすまないものを感じています。難何だか戦後補償という概念に忌避感、嫌悪感を感じているのではと言う印象を持っています。
今回、かなりまとまった分量のコメントで戦後補償について語っておられたので、これをもとに疑問を書きます。

>最近の平和運動は6~70年前の過去の事ばかりを取り上げ、

イラク戦争反対とかテロ特措法反対とかけっこう話題になっていたと思いますけど私の気のせいなのでしょうか。マガ9もそうですが、9条の精神を広めようと言う運動も細々と(失礼ですがお世辞にも多数派とはいえない)続いています。どうも私の持つ平和運動の印象と十文字さんのそれとはかなり違います。
それとも十文字さんは「最近の平和運動は6~70年前の過去の事ばかり」という御自身の主張を証明する科学的なデータを持っているのでしょうか(今までの主張では見たことありませんが)。もしあると言うのならそれを見せていただけませんか。その際、言葉の定義も明確にした上で(例:「最近」とはいつからいつまでか、「平和運動」とはどんな運動か)お願いします。

>この様な運動ばかりに特化した印象があり、さらにそれに反発する人々との間に、泥沼の応酬を繰り広げている事に、私は少なくない反感を覚えておりました

私は戦争被害の問題はまだ解決していないと思っていますが、解決していないと思っている人も解決済みと思っている人も自分なりに論拠を持って議論していると思っています。そんな中で自分は明確に論拠を示さないで「泥沼の応酬」などと十文字さんがエラソーに言うのは論争している人間に失礼だと思います。少なくとも論争をお互いに避けていないと言う意味ではあなたの言う護憲派の態度よりはましだと思いますが違いますか。「少なくない反感を覚えていました」などと言うのだったら誰もが納得できるような意見を自分が提示して「泥沼の応酬」を終わらせればいいんじゃないですか。あなたのこの発言は対案を出さずに反対ばかりして自分で問題を解決しようとしないひところの野党や護憲派(これはかなり俗説的な色合いが濃いと思っていますが)そのものです。

>勿論、過去の戦争に対する論議をする事も大切ですが、もっと重要な事は、日本および世界に数多く存在する不条理を、如何にして解決するかということでしょう。

確かに「過去の戦争」とは過去にあったことです。しかし戦争そのものが終わっても戦後補償や戦争被害者の問題のようなそれに付随する問題が終わったわけではありません。まさに「日本および世界に数多く存在する不条理」の一つなんじゃないですか。なぜ殊更に過去の戦争に関する問題の重要性を現代の不条理に比べて軽視したり、別問題にしたりしようとするんですか。それとも十文字さんが問題にしているのはあくまで過去の戦争そのもので、戦後補償や戦争被害者の問題は現代の不条理の一つだと思いますか。前後の文脈から見てそういう風には読めませんでしたが。

>具体的に言えば、従軍慰安婦問題をあそこまで追及してやまないエネルギーがあるのならば、今の世界にあるポルノなどの児童搾取問題や少年兵問題、性感染症防止活動になぜ取り組まないのかなどと考えていたわけです。

もちろん従軍慰安婦問題の研究者が児童搾取や少年兵の問題を取り上げることは有益だと思います。
しかし一方で十文字さんが「あそこまで追及してやまない」というほどのエネルギーをもってしても従軍慰安婦問題が誰の目から見ても解決しているとはいえない中、従軍慰安婦問題だけに自分のエネルギーを注いだとしても問題はないんじゃないですか。もし児童搾取や少年兵問題に従軍慰安婦問題に取り組む人を呼び込みたいのだったら、その負担を減らすために十文字さんが従軍慰安婦問題に取り組めばいいんじゃないですか。そうすれば従軍慰安婦問題に取り組む人の負担も減って児童搾取問題に取り組みやすくなると思います。それにしても「あそこまで追及してやまない」と書いてますけど、敵意とか憎悪を感じるのは気のせいでしょうか。

以上、長々と書きましたが、十文字さんの戦後豹問題に対する私の疑問と提案を書かせていただきました。

ブリーチャー・バム 2008/02/11(Mon)20:04:02 編集
ブリーチャー・バムさんの疑問と提案に、私の返答と考察を述べます。(vol.1)
始めにマガジン9条の編集者様には、これからかなりの長文を投稿し、しかもその内容が相当辛辣である事をお詫び申し上げます。

私の投稿文を読まれて、多分、少なからずの「良識ある」人々を不愉快な気持ちにさせてしまうかもしれません。
とはいえ、伊藤真塾長は「民主主義は多様な異なる意見を闘わせるところに意味があるのですから、論争を引き起こすような発言、集会を制限してしまったら、そもそも民主主義がなりたたなくなります。」とおっしゃっておりました。
ですので、敢えて本文を投稿したいと思います。
そして、「"衆愚代表"の意見には意義あり!! それは…。」というように、知性と論理性に満ち満ちた『逆転裁判』(有名なゲームの名前ですがご存知ですか?)のような再反論を、ブリーチャー・バムさんも、また他の人たちもして頂ければ、伊藤塾長がおっしゃるように民主主義をなりたたさせられるのです。ちなみに「良識がない!」とか「非情!!」とか「このマキャヴェリスト!!」なんていう非論理的で感情的な批判はダメですよ。
「論理には論理を」が、民主主義的討論の土俵に上がる最低限のルールです。

では、本題に入ります。

>「最近の平和運動は6~70年前の過去の事ばかり」という御自身の主張を証明する科学的なデータを持っているのでしょうか(今までの主張では見たことありませんが)。


今回は平和運動をもっと率直に「左翼(サヨク)運動」と言葉を統合して筆を進めます。

まず、科学データはありませんが、「遍歴」ならばありました。
http://www.tsukurukai.com/02_about_us/03_move_02.html
悪名高い『新しい歴史教科書をつくる会』のものですが、よろしければどうぞ。
これを見れば、1982年以前は家永裁判以外に話題となるような歴史認識に係わる問題は起こっておりませんね。

さて、歴史認識や従軍慰安婦問題に対し、漫画家の小林よしのり氏は「90年代に入り、冷戦が終結し、かつては理想国家と思われた旧ソ連や東欧諸国の実態が白日に晒され、左翼やリベラル派は自身のアイデンティティの危機に晒された。それを払拭する為に、歴史認識、とりわけ大東亜戦争で慰安婦に着目し問題化させ、戦争責任を追及することが自らの行動原理とするようになった。」という趣旨の指摘をしております。

果たしてこの指摘は正しいのでしょうか?

ここで着目されるべき事は、「何故90年代に入って、従軍慰安婦問題が衆目の前に現れるようになったのか。」という事でしょう。
「慰安婦」といわれる人々は50年前後もほったらかしにされていたのです。合理的に考えれば、謝罪も賠償も早めにしておけば良いということは当たり前の話でしょう。仮に私が戦中生まれのコテコテのサヨクでしたら、いの一番にそうしますよ。しかし現実のコテコテのサヨクが実践したことといえば…、話が脱線しますのでここで止めておきます。

さらに、最近になって日本・中国・韓国の研究社・教師らが共同編集・執筆した『未来をひらく歴史(2005年刊行)』
http://www.book.janjan.jp//0507/0507159618/1.php
(註:上記の書評はJanJanから引用したものですからかなりマイルドです)
なんていう本が出てきました。
でも、仮に歴史認識をずっと昔から問題として意識していたのなら、『未来をひらく歴史』なんていうコンセプトの本はずっと昔、どんなの遅くとも家永裁判が始まった(1965年)頃にはもう出現してもいい筈じゃないですか。
なぜなら、そのころには生き証人が2005年の時よりも多かったのは自明の理です。
「歴史教材」としての客観性、正確性を高めるには、一次史料(同時代の人間による生の史料)の収集が容易ですからね。
とどのつまり、担当編集者の梅田正己氏が公言しているように、「東アジアの平和な共同体をめざすには、三国の子どもたちや市民が、とくに近現代の歴史についての認識を共有することが必要だ。」という主張こそが語るにおちているのではないのでしょうか。
つまり、彼らにとっての「東アジアの平和な共同体」の構築というイデオロギーこそが最も重要であり、客観性や正確性はあまり考慮されていないのです。
まあ、そういう批判をすると歴史認識を重要視される人々の中には、「そんなことはない!」と怒鳴りたい気持ちの人がおられるかと思いますが、よく考えてください。
『未来をひらく歴史』には、「日本・中国・韓国の研究社・教師らが共同編集・執筆した」とありますが、東アジアの近現代史に深いかかわりがあったのはアメリカ、イギリス、そしてロシアも同様です。何故それら国々の研究員・教師らも共同編集・執筆者として採用しないのでしょうか?
このような指摘は私だけでなく、この顛末を知りさえすれば、かなりの確率で世界中の多くの国の人々が同様のツッコミ方をしてくるでしょう。
結局、彼らのイデオロギーの為には、そんな選択はハナから考慮の余地すら無かったというのが的を射ているのではないでしょうか。

そういう訳で、従軍慰安婦問題を始めとする歴史認識問題が新たなるイデオロギーの為に、90年代に入ってから頓に用いられるようになったということがお解かりになられたでしょうか?

因みに、もし新しい歴史教科書をつくる会の教科書が「愛国心」の押し付ける内容だから子供の教材として相応しくないという意見が正しいとするのならば、「東アジアの平和な共同体」というイデオロギーを押し付ける内容であります『未来をひらく歴史』も同様に、子供にとって相応しくないものと言えるでしょう。

幸い、どちらの教材も多くの学校で使用されているというニュースなど聞いたことがありません。良い事です。
また、ならばいっその事いうことで、『快刀乱麻な教科書問題解決法の提案… 「日本の近現代史を逆委託加工貿易品にせよ」』という投稿をちょっと前にしたのですが、
http://www.magazine9.jp/minna/maru_112.php
その次の週にTK生さんから、「自国の歴史は自らが見据え、その歴史の教訓を汲み取り未来の国の有り様を考えるという基本的態度を、放棄するに等しい意見である。」という批判を喰らってしまいました。
なるほど、確かにこの批判は正しいです。しかし現実問題として、『未来をひらく歴史』はどうでしょうか。
伊藤塾長が指摘した「テロなどの暴力に屈して軍国主義を許容してしまった戦前の失敗」という事は、正に歴史教育として極めて重要なものですが、その事を語る上で不可欠な人物である尾崎行雄、斎藤隆夫、若槻礼次郎について全く触れられていませんでした。
これは拙いものです。

こういうことからも、ブリーチャー・バムさんが私の投稿を読まれて、歴史認識や従軍慰安婦問題に熱心になる人々へ敵意とか憎悪を感じるのは気のせいではありません。正直に申しまして、彼らに対し少なくない疑問や不信感があります。いや、もっときつい言い方をすれば、その様な運動が過激化すればするほど、民主主義や平和主義、ひいては憲法9条そのものすら危機に晒してしまうのではという考えすら持っている位です。


十文字(衆愚代表) 2008/02/16(Sat)00:37:27 編集
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